大人の道徳

もう一度読む世界史?数学?出版すべきはもう一度読む道徳じゃないでしょうか。。

ほんとにあった怖い話

夢だった道徳の先生になって
授業をしているとする。
生徒に、先生、どうして人に優しくしなければいけないのですかと聞かれた。
それを説明できる根拠をみつけるストーリーが人の数だけある。
その物語を体感するため今日も起きて活動するんじゃないのかなぁ
愛をあげたい意味がわかったらそれはそれで喜ばしいことだ。

じゃぁ、良いことを良いと決めたのは誰ですか?
判断するのは自分だけど、せめて真面目にしてれば世界から置いてけぼりにならないように一応善いことを学校では教えてあげるのです。

先生にきちんとしろと叱られるのは愛情があるからなんて本当でしょうか?そんな愛情要りません。。。

では反対に優しいように見えて、
優しくない例を。本当にあった怖い話をひとつ。

ある飲食店の現場に、ある女性がいました。
必要とされるかというと、普通です。
いたらまぁ、助かるね、くらいで。

その人が辞めるそうです。

店長は、別に辞めるといっても、
引き止める気はない、
辞めるならやめろって言っています。

そもそも辞めるにあたって。
もちろん何もなく辞めるなんてことないです。
辞めるということは現場において少なからずの摩擦があった。つまり、不満があったのです。彼女に。そして彼女に不満があったということは現場の他の方にも不満があったのです。それを加味して、辞めるならやめてほしい、と現場の長がいいました。


私に、その女性は、『店長より上の人にさ、お前は辞めるな〜って言われちゃって。引き止められちゃった。』と私に話してきました。

で、つづけて、勿論、そうだよね??という感じで『店長も私のこと引き止めてる?なんか言ってた?』と聞いてきました。

私は彼女に本当のことは言えませんでした。
いう意味がありませんでした。
メリットはありません。成長しない性格の彼女にストレスをかけてまで面倒な報告はできませんでした。そこまで真剣に考えられませんでした。適当に『うん、そんな感じでした』といいました。

彼女の中では誰からも必要とされてる私
という世界ができました。

そう、傷つけるにも労力がいるのです。
愛するにはエネルギーがいるのです。
ごめんなさい。
私もみんなも勘違いして生きていけるのです。